イギリスから日本へ

日本帰国

成田空港に着いてからは、荷物を宅急便で送り、関西国際空港にむかいました。

イギリスの芸術的な建物に見慣れた私は、日本に建っている建物を見て

「な、なんて四角い建物ばかりなんだ。(;_;)。」と思いました。

イギリス人は毎日、道を歩いているだけで感性を磨くことができるけど、

日本人はこんな四角い建物ばかり見ていては、全く芸術性が養われない!

芸術よりも実用性を大切にする国なんだと再認識しました。

そして歩いている人を見て「東洋人だ。みんな同じ顔に見える。(**;)。」と思いました。

もちろん私も東洋人なんですけど、いろんな人種がいる状態に慣れていたので、

人種が同じ状態で人の顔を見分けることが少し、苦手になっていました。

日本に帰ってからはイギリスに行く前とは違った視点で日本を見るようになっていたので、

何カ月間も逆カルチャーショックを受け続けました。

そのことについてはこれからお話します。

芸術

日本に帰った私は建物を見て、実用性を重視していて芸術性に欠けていると感じました。

でも文字を見た時に日本は建物に芸術を見出さなかった代わりに文字に芸術を見出したんだと感じました。

日本語は文字が3種類もあって(平仮名、カタカナ、漢字)覚えるのも、

使うのも大変だけど、アルファベットに比べると多様性と芸術性を持っていると思います。

また、確かにお寺などは日本独自の芸術だと思いましたが、

日本は本当に華やかさを重視しなかったんだなと思いました。

そしてなぜか、京都駅に芸術を感じるようになりました。(**)。

京都駅が新しくなったときは賛否両論ありましたが、

あの建物は世界的にうけがいいんじゃないかと思います。

美術館に関しては、イギリスは戦利品をたくさん持っているので、やはり素晴らしいなと思いました。

単一民族

イギリスに行った時はいろんな人種の人がいることに驚きましたが、

日本に帰ってからは、単一民族であることに驚きました。

単一民族であることは、日本人の国民性に大きな影響を与えていると思います。

多民族の中で生活していると、

共通認識が少ないのでお互いに理解しあうためにいろいろと説明する必要があります。

自分が考えていることや、今までどんな環境で育ったのかなどです。

私は日本に帰ってきて、自分の友達が何を考えているのか知らないことに気付きました。

お互いに考えていることを話さないからです。

日本ではそれでも生活していけるのです。

自分の考えていることを説明しだすとかえって理屈っぽいとか、真面目すぎると思われてしまいます。

でもそのせいで日本人は自己表現能力が低いのだと思います。

多民族だと、毎日の生活の中で自己表現能力が鍛えられますが、単一民族だと退化してしまうのです。

また、へたをすると意見を持っていないということもあります。

さらに共通認識を持っているということになっていますが、果たしてそうなんでしょうか?

単一民族とはいえ、育った家庭、地方、感じ方などは違うのだから

共通認識があると考えるのは間違っているのではないでしょうか。

相手が何を考えているのか知らない、自分が考えていることを相手が知らないということは、

言い換えれば孤独ということだと思います。

つまり単一民族であることの特性から必然的に孤独が生まれているということです。

このように日本の共通認識を土台としたコミュニケーションには大きな問題があるように思います。

本当は単一民族であっても、お互いにいろいろなことを説明することが必要なのではないでしょうか。

閉鎖性

私は日本は外国人が多いのだと思っていましたが、違いました!

日本に来る外国人は少ないです。

その理由としては2つ考えられます。

1つは海外の人にとって、日本が魅力のない国なのかもしれないということ。

もうひとつは、日本が他の民族が入ってくることを嫌って外国人にとって不利な政策をとっているということ。

私は法律の勉強はしていません。

でも島国とはいえ、日本が単一民族であるということは、後者のことがいえると思います。

イギリスから帰って来て日本は閉鎖的だと思うようになりました。

個人レベルでは、みんな自分の考えていることを表現しないなんて閉鎖的だし、

国家レベルでは、外国人を受け入れないので閉鎖的だと思います。

これからの国際社会においてこのままでいいのだろうかと思います。




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